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銀座レゾルカのパティシエール 岸本香奈子さん 前編

アルチザン(職人)シリーズ第2弾は、銀座レゾルカのパティシエール岸本香奈子さんが登場、大好きなケーキとの出会いからを語ります。

 
岸本香奈子さん
 

◎岸本香奈子(きしもとかなこ)さん プロフィール

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岸本香奈子さんspace
銀座レゾルカ パティシエール。
1983年 7月6日東京生まれ/大分県別府育ち 蟹座 B型。
三姉妹の長女。
大分県立別府鶴見丘高校卒業。
辻製菓専門学校卒業。
卒業後、別府や東京の洋菓子店やレストラン等に務め、
ウェディングケーキからデザートまでを作る
パティシエールとして経験を積む。


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母のお菓子作りからケーキの道へ 前編

月刊宮島永太良通信編集部(以後M):今日はよろしくお願いします。 最初に別府での日常生活を教えてください。
岸本香奈子さん(以後K):看護師をしている母が、どんなに忙しくても家事を全てこなしてしまうスーパー主婦なので、家で私は一番下の妹を遊びながら面倒みるぐらいでした。 学校の授業では暗記モノが好きではなく、ソロバンも習っていたので、どちらかと言うと理数系が得意でした。 そして、何と言ってもスポーツをするのが大好きでした。

M :どんなスポーツ?
K :小中高を通してずっとバトミントンをやっていました。

M :では、運動少女だった岸本さんとスイーツとの出会いは?
K :実は幼い頃から母がケーキも手作りをしてくれ、美味しかったので、それが最初です。

パティシエール 岸本 香奈子さん

M :では、パティシエール志望の源はお母様ですね。 何を作ってくれたのですか?
K :印象に残っているのはチョコレートケーキです。

M :手作りは洋菓子が多かった?
K :いいえ、イチゴ大福等も作っていましたから、洋菓子だけではありません。

M :では、岸本さんがケーキ作りを仕事にしようと思ったのは、何時頃?
K :小学校?  いや、それ以前の幼稚園の頃からです。

M :そんなに幼い頃から?
K :はい、バトミントン好きながら気持ちにブレはありませんでした。

M :何がそうさせたのはしょう?
K :母であることは間違いありませんが、ケーキ作りには危ないことも伴うので、幼い頃は作らせてもらえず、まず自分ひとりで作ってみたい欲求があったからだと思います。 また、私が初めて作った時の母の反応がとても良かったので、自分の進む道を決めました。

M :それは何時頃、何を作りましたか?
K :小学校低学年の頃でパウンドケーキを作りました。 母の笑顔と「美味しい」の一言が決め手でした。

M :本当にお母様で方向性が決まったのですね。
K :ただ、三姉妹の誰か一人が自分と同じ看護師になるだろうと思っていたようですが、誰もその道を選ばなかったのは、母の誤算だったようです。

M :小中高を経ても岸本さんに迷いはなかったのですか?
K :はい、ありませんでした。

M :何故、洋菓子を志したのですか?
K :私自身、チョコレートがかなり好きだからです。 どのくらい好きかと言うと、高校時代に激しいバトミントンの部活をやっていて、栄養補給をしないといけないのですが、基本的にはチョコレートと肉しか食べていなかったです(笑)。

マルタ島のはちみつ、塩の紹介

M :野菜は?
K :あまり食べませんでした。

M :好き嫌いが徹底していますね。 では、パティシエールを目指して東京の製菓学校に進む時、ご両親の対応はどうでしたか?
K :その昔、父は北海道から、母は別府から共に上京していたので、反対はされることはなくスンナリ認めてくれました。

M :それで高卒後、東京の国立にある辻製菓専門学校に進学するわけですが、そこは何年制だったのですか?
K :1年制でした。 で、私と同様に上京して美容学校に進んだ高校の同級生とルームシェアをして暮らしました。

M :1年後、就職ですが?
K :そのまま東京にいるつもりだったので、待遇がちゃんとしたホテルの製菓部門へ就職を考えたのですが、どこも倍率が高く、望みは儚く消え去りました。

M :それで、どうしたのですか?
K :東京の菓子店に入ってもお給料が少なくて生活をしていけないので、別府に戻り、再度の上京を目指し、その資金を貯めることを目的にして地元で人気のあるケーキ屋さんに就職。 そこは比較的新しい店で飛躍の時期でもあり、スタッフは7人でしたが、活気がありました。

M :そのケーキ屋さんでは、どれくらい働いたのですか?
K :1〜2年では短いと考え、「石の上にも…」の言葉が頭をよぎったので3年間働きました。

M :そこでの勤務はどうでしたか?
K :店に入るのは朝6時半、仕事が終わって店を出るのは早くて夜10時、「厳しい」の一言に尽きます。 休みは週一、本当に信じられない世界でした。 いま思えば、私も若く体力があったので乗り越えられたと思います。

M :仕事内容は?
K :最初の半年は掃除を主にホールで販売を担当。 その期間を終えるとひたすらケーキ作りです。

焼き菓子と贅沢チーズケーキ

M :ケーキ作りをするようになって最初にすることは?
K :その日に作る10種類のケーキの材料の計量を全て行います。 例えば、カスタードクリーム用の卵黄6キロ、チーズ10キロを計り、業務用砂糖30キロを運びます。 私が体育会系女子でなかったら続かなかったかもしれません。 現に入店3日で来なくなった男性も複数いました。

M :厳しい職場ですね。
K :ケーキは寒い季節が旬、特にクリスマスの頃は大変でした。 朝4時に退店して2時間半後の6時半には入り、働きました。睡眠時間があるかどうかです。 それが1週間ぐらい続く「魔のクリスマス」でした。 しかし、クリスマスが終わってもバレンタインデー、ホワイトデーと続くのでたまりません。

M :お正月どころではないですね?
K :中でもキツかった作業は、季節を通して毎日、ステンレス型でムース600個を仕込み凍らせるですが、それを取り出すのに寒い時期は両手の体温を利用します。 しかし、数が数だけに最後の方になると手の感覚はなく、その時期の手は霜焼けアカギレ状態で、曲がらなくなることもありました。

M :それでも、やめようとは思わなかった?
K :色々ありましたが、自分のやる気と友だちのバースディーケーキを作った時に喜ばれた経験等がモチベーションを保ってくれていたのだと思います。

M :別府での3年間で何を得ましたか?
K :再び東京に行くための手段だったので、最終目標は見えませんでしたが、間違いなくケーキ作りの基礎ができたと思います。 でも、ムース等の生菓子作りが主だったので、焼き菓子作りの経験はまだ足りていませんでした。

M :焼き菓子?

次号に続く…

 
 岸本 香奈子さんと銀座レゾルカのサインボード
 
(構成・写真 関 幸貴)
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