宮島永太良が振り返る2010年からの15年@
今月から3回にわたって、宮島永太良が過去15年を振り返ります。
第1回は、2010年から2014年までです。
◇2010年
★4月 上海美術館 宮島永太良チャリティー個展 「異空間からのメッセージ」
★9月 上海オペラハウス 〃
2009年前半、美術関係に強い中国の知人から「2010年5月からの上海万博で作品展示をしてみないか」と誘いがありました。それがいつの間にか、会期は万博開始前の4月、会場も上海美術館に変わりましたが、万博で上海に多くの注目が集まる頃だと考えたので、個展「異空間からのメッセージ」の開催を決めました。その結果、知人からは「とても広い美術館だから」と言われ、多作に加えて大作の展示を要請されました。
それで2009年7月に生まれて初めて中国へ渡り、上海美術館を下見したら、あまりの大きさと広さに驚き、これまでの自分の作品で埋めるられるかどうか、新作に挑むにしても「あと1年もないのにどうしたら良いだろう?」と、かなり悩みました。でも、その時に西湖を訪ねたり、中国三大奇書/水滸伝にも興味が出て、自分の中で中国ブームが起きたのです。
とは言っても展覧会用の大作制作は大きな課題です。描ける場所がなかったけれど、たまたま自分の会社の空き部屋が使えることになり、そこで200号を4点を描きました。私は絵を描く時、基本的に50%以上は楽しいのですが、あの時は切羽詰まっていて心に余裕が全くありませんでした。また200号は未経験だったので知力体力を共に消耗、作品搬出等も想像以上に大変でした。
あと上海美術館搬入時、作品展示を自分でしなければいけないと思っていたので、作業しやすい服装で行ったら、美術館のスタッフが展示をしてくれていたので安堵したのは良い思い出です。会期は4月2日から10日間でしたが、1万人以上の方々に来場していただいたのはとても嬉しかったですが、連日緊張していたので、ほっとできたのは個展の全日程が終了した時点でした。
同年9月、苦学生のためのチャリティー目的で個展「異空間からのメッセージ」を上海オペラハウス開催しました。オークションを行い何人かが私の作品を購入していただきましたが、自分の作品が売れたことよりチャリティーをできたのが良かった。あとパーティに上海の子どもたちと政岡玄さんが出てくれたのが今も心に残っています。でも、あの時にマルタがいたら良かったなと、後になってひとり想像しました。ただ、私がマルタを思いついたのは、上海だったのです。
そして、上海での2度の展覧会を終え、中国で私のお世話をしてくれた長さんの出身地/天津を訪ねた時、現地には「天津飯」がないことを知り、思わず笑ってしまいました。
余談ですが、中国の知人からは「北京など他の都市でも展覧会を」と誘われましたが、現地に長期滞在をして大作をもっと描かなければならないとの条件があったので、10号ぐらいを描くのが好きな私はお断りしました。なんにしてもあの時代に初めての海外/中国で展覧会ができたのはとても良い経験になりました。
★7月大阪大学医学部附属病院へ作品寄贈
当時の大阪のスタッフ動いてくれ、7月に大阪大学医学部附属病院へ私の作品14点を寄贈しました。その前から首都圏の医療関係機関へは作品寄贈をしていましたが、病院に自分の作品が飾られ、それを患者さんや医療スタッフが観て、癒されたり心和んでもらえるのは絵を描く人間としてはなんとも嬉しいかぎりです。寄贈の何年後かに病院を再訪して観る機会がありましたが、考えると、あれが「健康とアート」について私が考える大きな分岐点になったのかもしれません。
・マルタ誕生
上海での個展開催でヒントを得て誕生したマルタが活動開始、秋には手作り感のある旧アニメーション全9話が千葉テレビで放映されました。
◇2011年
★3月 東日本大震災被災者支援 マルタ募金開始
3月11日に東日本大震災があり、4月に銀座で初回から私がプロデュースするアートイベント「花まつり」があったので、それと連動して会場で被災地支援のマルタ募金を開始しました。生まれたてのマルタがあまり認知されていなかったので、新企画スタート時の大切さ認識しましたが、募金が30万円以上は集まったのは良かったです。付け加えれば、このあと徐々にマルタは認知され、2年後には街頭募金のお手伝いをするようになりました。
★10月 パリ個展
私のヨーロッパ初個展を10月20日から24日まで、エッフェル塔やセーヌ川から程近いスイスビレッジにあり外光が入る1階と地下の“アートスペースギャラリーパリ”で開催しました。20日夜のオープニングパーティへは、フランス人だけでなく国際色豊かな多数の面々がギャラリーを訪れ、明るく楽しい夜になりました。展示作品は大きく考えて36点、来場者は約450人。印象的だったのは、まずパーティでの皆の話題が展示作品に終始したこと、あとは通りすがりの若い女性がためらいを見せずに自然の流れで作品を購入してくれたこと。共に日本ではあまり経験したことがなかったので新鮮でした。だから、パリならもう一度個展をしても良いかなと思っています(笑)。
・マルタ初登場
8月 井上あずみさんのファミリーコンサートプレミアにマルタの着ぐるみが初登場。
・マルタの絵本
12月「マルタの冒険〜森の中のリュウジン池〜」が発売されました。
◇2012年
★1月 東日本大震災被災者支援に同行
銀座で「マルタの冒険〜森の中のリュウジン池〜」出版記念パーティ後、ファンケルとTokyo de Volunteerのコラボチームに同行して、深夜のバスで東日本大震災被災者支援のために宮城県名取市と亘理町、2ヶ所の仮設住宅へマルタと共に向かいました。現地では、映像ではなく、現実に家が全てなくなった状態を目の当たりにして、大地震の恐ろしさを私なりに肌で感じました。加えて、被災地では当時は無名のマルタにたくさんの子どもたちが寄ってきたのは嬉しかったですが、被災者の方々に自分では何もできなかったことが残念でした。今なら読み聞かせもでき、少しは慰めになったのかなと思います。このあと数回被災地を訪れましたが、何処へ行っても自然の力の凄さを痛感しました。
★6月 横浜初個展/万国橋ギャラリー
この前年ぐらいから好きな横浜に呼ばれている感覚が私の中にあり、横浜駅近くに事務所を借り、横浜在住のシモンさんから地元情報を仕入れていました。そして、横浜初個展の万国橋ギャラリーで展示した中には、シモンさんに誘われて地元アーティスト/ロコ・サトシさんの赤レンガ倉庫で行われていたワークショップに参加して制作した作品を展示できたのは良かったです。あと特筆すべきは、遠峰あこさんや小倉まこさんといった後になって親交を重ねる横浜のメンバーにお会いできたのは、本当にラッキーでした。
◇2013年
★3~4月 第10回花まつり 厚木/横浜/東京 3ヶ所で開催
前年は不調だった私がプロデュースするアートイベント「花まつり」の発想を変え、厚木/ギャラリー喫茶なよたけ、横浜/黄金町のガード下、東京/ミーツギャラリーの3ヶ所で開催、それぞれの場所で好評を博しました。特に黄金町は、当時、政岡玄ちゃんがそこの歌を出すので、ジャケットの絵を描いて欲しいと言われていたので別の思いもありました。それもあってかガード下のスペースはユニークなグループ展会場となり、注目を集めました。発想の転換は大切ですね。
★4月 マルタtvk「ありがとッ!」にレギュラー出演スタート
4月11日から、ご縁がありテレビ神奈川・tvkのお昼の人気帯番組「ありがとッ!」にマルタが登場しました。この日から毎週木曜日にレギュラー出演しアナウンサーさんと一緒に、お茶の間のお母さんと子どもたちに大切な知恵と知識を伝える「まんまるマルタ」のコーナーを受け持ち、3年間続きました。マルタがレギュラーなれて嬉しかったですが、私としては出演中に何か失敗や間違いをしないかと、いつも保護者目線で心配していました。大丈夫なのは分かっていますが、それは今でも続いています(笑)。
・壁画「5 action」
2月 宮島永太良制作壁画「5 action」が銀座の健康院クリニックエントランスで公開。
・マルタの絵本
12月「マルタのぼうけん〜あおいしずくのひみつ〜」が発売されました。
◇2014年
★3月 第11回花まつり 厚木/横浜/東京 3ヶ所で開催
2013年の第10回に続き、 第11回花まつりも厚木/横浜/東京 3ヶ所で開催でしたが、横浜会場は大さん橋の「くじらのおなかギャラリー」になりました。この年は加藤力之輔さんを筆頭に16名のアーティストが参加、4月5日夜にはミーツギャラリーでオープニングパーティがあり、遠峰あこさんと政岡玄ちゃんの音楽ライブにホワイトダイスによる舞踏も披露され、会場は大変盛り上がりました。また、大さん橋ではマルタが募金箱を持って歩きましたが、無名だった3年前に比べて認知度が上がっているのを実感。そして募金活動はキャラクターが向いているのではないかと思い至りました。
★10月「マルタの冒険」が放映開始
CSのキッズステーションで新アニメーションによる「マルタの冒険」が放映開始されました。シーズン1と2で全24話制作され、24話が続きを感じさせる内容なので意味深です。また一人の方が制作していた2010年制作の旧アニメと比較すると、スタッフの数だけ動きが良くなりました。ストーリー的には旧アニメの方が現代アートっぽくて私に近いけれど、新アニメの方が子どもたちには受け入れられると思います。
*2010年から2014年まで5年間
上海個展の前後の出来事からイメージしてマルタは誕生しました。私自身はあまり計画的ではなく、なるがまま無我夢中で必死の5年間でした。でも、歳を重ね経験を積むことで自分の行動の理解度が増したと同時に、マルタの存在によって人々がより注目してくれることも判明。いま思えば、この間は私にとって大きな転機だったのかもしれません。