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相模大野

風も冷たい2月上旬、宮島永太良は神奈川県相模原市南区にある相模大野の地を訪れた。
実はこの場所、宮島にとっては大変思い出深い場所である。10代の頃、小田急沿線/町田市内の高校に小田原から通っていた宮島は、町田駅・本厚木駅など自宅と学校の間をつなぐ中継地点がいくつかあった。特にこの相模大野は高校3年の時、学校帰りに通っていた美術教室があったことで、今でもその思い出は大きい。

相模大野

「その美術教室はデッサンやデザイン画など、主に美大受験対策をしていた所です。しかし、マンモス予備校というわけではなく、彫刻家の先生が1人でやっている小規模な教室でした。『相模大野美術研究所』という名前から、私たちも『研究所』と呼んでいました」。アートラボトーキョーのオーナーにも似た雰囲気を持つその先生は、大変人柄が良く、予備校の教師にありがちなガツガツ詰め込むタイプではなく、一人一人の生徒の個性を伸ばしながら、一番良いものを引き出していくタイプの先生だった。

相模大野

今回は、その研究所跡地を探す小トリップとなった。
「卒業して数年後、先生から研究所はクローズするという知らせがあったので、今はもうないのは確かですが、建物自体が残っているかどうかは未確認です」。
しかし、最初からつまずいてしまうのは、小田急線相模大野駅の付近自体がその頃とすっかり変わってしまったということだ。何年か前(すでに宮島がこの地に頻繁に来なくなってから)駅前に伊勢丹デパートができたのだが、驚いたのは、それ自体も建物ごとなくなってしまっていたということだ。宮島の知人もそこの従業員をやっていたので、その驚きは大きい。

相模大野

最初の驚きを後に当時の記憶を頼りにさらに道を進む。もう一つの大きな違いは、「ボーノ相模大野」という大型複合施設ができたことだ。ここはスーパーや飲食店、医療施設、教育施設などが揃う、近年よく見られる都市型の駅前施設である。このボーノ相模大野の建物を越えると、見覚えのある商店街が出てくる。「大野銀座」という看板が印象深い。
「昔、この通りを通って研究所に通ったのは間違いありません」
しかし、通りの表情は変わらないながら、当時入ったことのある飲食店等はどこもにも見つからない。揚げ玉を乗せた丼もの「たぬき丼」を出す定食屋、ナポリタンとイタリアンサラダの美味しい喫茶店・・・そして現在にかなり近い時代、当時近隣に住んでいたシモン・ミラニモポ氏に連れていってもらったバーもすでに見当たらない。まさに浦島太郎が帰った時はこんな感じだったんだろうという状態だ。

相模大野

それでもありったけの記憶をたどり、「ここは」と感じる通りの角を曲がる。こここそ研究所のあった所ではないか? しかしその影は何もなく、まず目に入るのは、東京都内にもある、よく行列ができているラーメン店である。この地にも近年支店ができたようで、すでに2、3人が並んでいた。そしてこのラーメン店の向かい側に、研究所はあったはずだ。当然かもしれないが、その建物はもう見当たらない。ただ驚いたことに、なんとその場所は神社になっていた!
「研究所はおそらくこの場所だったと思います。しかしその頃近くに神社があった記憶はありません。もし新たにこの神社ができたなら、それは然るべき土地だったということで、記憶違いということもなくはありません」。

相模大野

とにかく道は変わっていないにしろ、建物がここまで変わったのだから、その記憶違いは致し方ないであろう。そして宮島の記憶もよみがえる。
「研究所は2階でしたが、1階はカラオケスナックになっていました。私たちがデッサン等練習し始めてから数時間後、だんだんと1階が賑やかになって行き、防音設備などないその店からは、やがて決して上手いとは言えない歌が次から次へと聴こえてるのです」。
こうした環境でデッサンも狂わなかったかが、今さらながら心配になる。神社のあった場所と知らずにスナックを作ってしまった、というのはありがちだが、その逆などあるだろうか?これに関してはまたの調査が必要だ。

相模大野

注目すべきはこの神社が「報徳二宮神社」という名前であることだ。これはかの二宮尊徳を祭る神社の名であり、尊徳の生地・小田原にも同じ名前の神社がある。これを機会に、今回宮島はこの神社に参拝。もちろん祈ったのは、先生が今でも元気でいてくれていることと、ともに学んだ研究生たちが、社会でいい仕事をしてくれていることだ。
「先生は昭和8年(1933年)の生まれと聞いたので、今年91歳になられるはずです。先生は3つの大学に通ったことがあるという経歴の持ち主で(卒業していない大学もあるようですが)またそれでいて結婚が22歳だというから、どう考えても学生結婚だったでしょう」
この研究所での思い出は尽きない。今でも昨日のことのように鮮明に、そこで学んだ場面を思い出すという。

相模大野

宮島にとって、この研究所での体験は、今の美術制作に大きな影響を残したことは、疑う余地はない。

 

(文・写真 宮島永太良)

 
 
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